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2013.07.06 15:23|未分類
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最近は家でじっくりと音楽アルバムを自慢のオーディオシステムで聞く時間がほとんどなくなってしまった。CDプレイヤーでさえ最近は過去の再生システムとしてVHSビデオレコーダーのような存在になってしまったようだ。
インターネットで1曲単位で曲を購入するのが主流となり、アーティストもストーリー性のあるアルバムを制作することが商業的にも意味をなさないものになってしまったからともいえる。

タワーレコードのサイトをまめにチェックしていると過去の洋楽アーティストのCDが初版限定で最近はかなり安い価格で手に入る。このロキシー・ミュージック10枚組も全てのスタジオ録音盤のBOXセットで初版限定だそうだ。音質はアナログ・リマスターとのことでよくわからないが良いらしい。

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ロキシー・ミュージックは1972年から1982年にかけて英国で活動していたグループだがデビューアルバムのロキー・ミュージックから最終章アバロンまで正統進化していったバンドだ。改めて最初から最後まで通して聞きたくなり買ってしまった。最近はこの手の衝動買いが実に多い。

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デビュー当時は、リードボーカルのブライアン・フェリー、リードギターのフィル・マンザネラ、サックスホンのアンデイ・マッコイ、キーボード奏者のブライアン・イーノが中心となって活動していた。当時はグラムロック(グラマラスなロック)などと呼ばれておりT.レックスやデビッド・ボウイーと並び英国で人気のグループであった。その後ブライアン・イーノは脱退して行くわけだが、だれもこのグループが10年後にアバロンほどの崇高な作品を仕上げるとは想像もしていなかった。

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このAVALONは、ロキシー・ミュージックの最終にして最高傑作の一枚でロキシーサウンドの極みである。デビュー当初はかっこいいバンドの一つにすぎなかったが、ボーカルのブライアン・フェリーの美学がこの作品で完成され、極上なアルバムとなった。そのサウンドは成熟した大人のサウンドでヨーロッパの哀愁漂うメロディーをもの悲しく表現している。

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ボーカルのブライアン・フェリーは現在も英国を代表するボーカリストとして活躍しており、退廃的な美学というか多くのダンディズムな作品を残している。日本でもドント・ストップ・ダンスなどCMソングで有名にもなった。

いままで断片的にしか聞いていたことのないアーティストの作品を最初から最後まで全て通して聴くのも良いものである。まだまだ聞きたいアーティストはたくさんいる、クラッシック・ロックとして定着されたこの分野を掘り下げて視聴するのも悪くない。
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2012.08.11 18:54|未分類
タスク
ロンドン五輪開会式・閉会式での英国新旧アーティストの競演は実に見応えがあった。先日ぶらっとタワーレコードに行き、フリートウッド・マックのコーナーで1992年に発売されたフリートウッド・マック25周年記念BOXセット4枚組「ザ・チェイン 鎖」が再発売されているのを見かけた。唐突の再発売にビックリしたマックファンも多かったようだ。発売当時で25周年なので今年で45周年ということになる。

このアルバム自体は、大物ロックグループのベストアルバムでなんてことはないアルバムだが、久しぶりのマックのリマスター版の再販でもあるし、またこのブログのタイトル「Rumors 噂」の由来も兼ねて少しマックの話をしてみたいと思う。

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フリートウッド・マックは、1960年代に英国で結成され、当初は地味で渋いブルースロックバンドであった。ドラマーのミック・フリートウッド、ベースのジョン・マクビーの名前をとってバンド名としている。ラテンロックのサンタナにより後にカバー大ヒット曲となったブラックマジックウーマンの原曲グループとしても有名である。

彼らが一躍有名になったのは、1976年ごろ英国でデュオ活動をしていたニックス&バッキンガムのボーカリストのスティービー・ニックスとギタリストのリンジー・バッキンガムが加入してからである。当時リーダーのミックは新しいギタリスト兼ボーカリストを探していたが、リンジーは恋人のスティービー・ニックスも一緒に加入することを条件とした。

ニックス

活動の場を英国から米国に移した彼らは、最新作フリートウッド・マックを発表する。それまでコンスタントに10万枚前後をセールスしていたが、このアルバムはなんと300万枚を売り上げるヒット作となった。それまでのマニアックなブルースロックではなく、聞きやすいポップなアルバムとなり、当時クリスタルロックなどと表現されていた。この5人組が黄金期のメンバーとして現在まで活動している。(もちろん紆余曲折があるが)

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そして、1977年にロック史の名盤Romors 噂が生まれた。妖精スティービー・ニックスと見栄えのする二枚目ギタリストリンジー・バッキンガムの2枚看板を擁した彼らは、実にこのアルバムで米国ヒットチャート連続33週1位を記録し、全世界で3000万枚を売り上げる史上空前のビックヒットアルバムとなり、77年のグラミー賞を総なめにした。76年発表のイーグルスのホテルカリフォルニアでさえ連続8週1位、全世界1600万枚ということからしてもその凄さはわかる。

女性キーボードのクリスティン・マクビー、スティービー・ニックス、リンジーバッキンガムの3人が曲を書くことができるため、それぞれの個性が発揮されたすばらしいアルバムとなっている。

このブログのタイトルもその大ヒットにあやかってつけたものだ。また、自分もグループ名ソングバードというバンドを組んで活動をしていたこともあるが、このアルバムでクリスティンの曲「ソングバード」からとったものだ。

噂2

このアルバムは、サウンド的に素晴らしいのは言うまでもなく、恐らく100回聞いても飽きないポップな仕上がりになっている。しかし、注目すべきは制作された時の背景である。

リンジーとスティービーは8年越しの恋が破局し、マクビー夫婦も破局するといったバンドの人間関係が最も最悪だった頃の作品である。全編にわたりお互いの苦しい心の嘆きをぶつけ合う作品となっている。普通は解散へと向かうものであるが、逆にプライベイトの苦しみさえ商品にしてしまい(本人達はそのような意識はないだろうが)、またそれが本当にリアル感あふれる作品に繋がっているのだからすごい芸人根性である。

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アルバム「Rumors 噂]は、現在スーパーオーディオCD版とリマスター2枚組版が発売されているが、SACDにこだわらないのであれば、2枚組がお勧めだ、Disc2では別テイクやラフバージョンを原曲通りに並べて編成されおり、非常に興味深い仕上がりとなっている。

2012.05.26 11:42|未分類
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5月も後半に入りだんだん蒸し暑く感じるこの頃だが3月中旬から撮りためているスナップを今回は一部紹介する。これは5月初旬の黒部第4ダムでまだ湖水が氷結している。

黒部ダムの建設は世紀の大事業として語り継がれ、中でも破砕帯(固い岩盤と湧水のある層)の格闘は石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」に描かれた事でも有名。昭和31年から始まったダム建設には当時の金額で513億の巨費が投じられ、延べ1,000万人もの人手により、実に7年の歳月を経て完成した。今では立山黒部アルペンルートの長野側起点として多くの観光客が訪れるが、外国人客の多さには驚かされる。

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北アルプス(立山連邦)の山々

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周囲を散策してみた。まだ雪解け水が少く湖水は比較的少ない。天候が良かったので行けるところまで行ってみたかったが、いかにも熊が出没しそうなので適当な所で引き返してきた。

実は、この黒4ダム周辺を散策するスタンプラリーがあり全部で9個のスタンプを押すと観光記念品をもらえるとのことで一生懸命歩いた。だがやっとの思いで9個のスタンプを押して記念品を頂いたが、なんと「うまい棒」が1つ、一袋でもない、1本である。子供でもがっかりするだろう、そりゃーないだろと思った。

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黒4ダムの一番見応えのある季節は、観光放水を行う6月以降だが、この季節の透明感ある景色も格別だ。黒4ダム名物と言えば黒部ダムカレー、ダム建設工事作業員はこのカレーを何よりも楽しみにしていたそうだ。

(以下、資料から)昭和32年5月、黒部ダムへ通じる大町トンネル(現:関電トンネル)工事も佳境に入ったまさにその時、工事現場は大破砕帯にぶつかり毎分40トンもの出水にみまわれた。水温はなんと4℃。そのような厳しい環境のなかでも工事は24時間休みなく行われた。あまりの寒さに唇を紫色に腫ら震えながら戻ってきた作業員達が何よりも楽しみにしていたのが“飯場”のピリ辛カレー、カレーのひと口ひと口が胃の中で燃え上がり、冷え切った体を温めてくれたそうだ。




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残雪の白馬連邦、深い緑の中に浮かぶ北アルプス白馬三山と姫川。右から白馬岳(2933m)、杓子 岳(2812m)、白馬鑓ヶ岳(2903m) 。白馬村大出より。

白馬での遭難の悲劇は実に多く、白馬八方尾根にはこのような遭難が2度と起こらぬことを祈って6つのケルンが建てられている。しかし、この二日後に6人の登山パーティー(70歳代の医師のパーティー)がこの白馬岳で猛吹雪のなかで遭難して亡くなっている。白馬は夏でも大雪渓を見ることができるため自分も夏に登った経験があるが、山の天候は一気に変化するのでけっして侮ってはいけない。

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川下りラフティングツアー、手を振ったら応えてくれた。

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たぶんキク科の植物だろうが詳しくはわからない。

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これはスギ科の一種であろうが詳しくは不明。関東に比べ1か月植物の成長が遅いらしくやっと直ってきたスギ花粉症がこちらに来て再発してしまった。しかし桜の開花は4月下旬~5月上旬となり、2回も花見ができてなんとなく得をした気分だ。

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伊豆の河津桜(静岡県賀茂郡河津町で毎年3月上旬に満開になるピンク色の桜)は有名だが松田町の松田山ハーブランドの早咲きの河津桜も見応えがある。5,000㎡の斜面には、260本の河津桜と約5,000株の菜の花が植えられいる。
じつは、今年は天候不順で早咲きとはならないで普通の桜の開花とほとんど変わらない4月初旬の時季の開花となってしまったようだ。
遠くに見えるのは伊豆大島、隣に流れる酒匂川、視界を遮るものは何もない。

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今年の富士山は残雪が多い。

さて、もうすぐ6月だが6月といえば紫陽花の季節だが、箱根登山鉄道沿線、鎌倉の長谷エリア、北鎌倉エリア、開成町の田園地帯等いろいろ名所はあるが、今年はどうするか悩むところだ。このブログでも何か所か紹介してきたがさて今年はどこへ行くか。

2012.02.25 17:59|未分類
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前回は、御殿場線の歴史を振り返ってみたが今回はその街道筋を紹介する。このスナップは裾野市あたりでの車窓からの写真で、あいにく天候が悪く美しい富士山を撮影することが出来ず残念だが、(雪景色のこの路線を撮りたかったが)これは典型的な御殿場線沿線の風景である。富士の裾野に開通をまじかに控えた第2東名を見ることができる。

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この駅は、小田急線と十字に交差しているJR東海松田駅だ。現在(平成24年2月25日現在)後述するが小田急線とは特急ロマンスカーあさぎり号のみ(JR車両と小田急車両がある)が沼津駅まで相互乗り入れしている。いったいどうやって十字交差の鉄道どうしが乗り入れるか不思議に思うが、小田急線に乗り注意深く眺めていると数百メートル手前からバイパス線の上を緩やかに本線から分離していき徐々にJR線に合流していくのがわかる。これは特急ロマンスカーあさぎり号に乗らないと体験できない。

デイパックを背負った旅人、記念撮影をする人達で賑わいがある駅だ

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御殿場線は、神奈川県の西部と静岡県の東部を跨いで走る路線だがJR東海管轄になるためJR東日本の「Suica」パスモ等のICカードは使用できない。JR東海「ICOCA」なら使用できるはずだが、混乱を避けるためかほとんどの駅は読み取り機がついていないため切符を購入しなければならない。また車両や駅名表示版はJR東海カラーのオレンジ(前回の写真参照)でJR東日本のグリーンではないためなぜか県内にあって遠くに旅行している気分になる。


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さてここは、山岳地帯に入るふもとの山北町やまきた駅だ。駅員1名駐在していて沿線では大きな駅の部類に入るが(前回の写真参照:ホームも広い)実は3月のダイヤ改正で無人駅化が決定されている。

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駅前大通りとアーチ看板が掲げられているがタクシーの運転手さん以外誰一人歩いている人はいない。

御殿場線は昭和9年に前述した東海道本線の幹線としての役目を終えて以来首都圏への通勤も遠く、さらに観光地としても恵まれず(もちろん車での観光ポイントはあるが)、この路線の利用客は少ない。金太郎の生誕地と言われてもインパクトは小さい。それゆえに緩やかに時間が流れており昭和が色濃く残されている。ゆえに自分はこの地域がとても魅力的に感じる。箱根観光地域の雑踏を少し離れてしっとりとしたこの沿線の歴史散策をすると面白い。

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角の建物が、美容院、となりの赤い建物が酒屋さんだ。レトロだ。

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街道筋の床屋さん、バーバーと書いてあった。もちろん営業している。まるで昭和にタイムスリップしたようだ。まだ汽車が住民に毛嫌い(うるさい、煙い、危ない)されていた時代に鉄道を敷かれ、いざ本格的な輸送機関としての電車鉄道時代を迎える矢先に主役を外された(丹那隧道の完成)この地域には感慨深い。

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山岳地帯に登る街道沿いにある馬場で馬をつないでおくところだ。この道は関東に入るためのルートとして箱根越えとならび重要な道筋だが、平安時代に京の役人(国守=貴人)が相模の国に入るときにはこのルートを利用したとされている。

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山岳地域に入ると「洒水の滝」がある。酒匂川の支流、滝沢川から流れ落ちる洒水の滝は、「日本の滝百選」、またその水は「全国名水百選」に選ばれている。「洒水」=「しゃすい」の名は、密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指すという。雄大なその姿は三段からなり、落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされている。

小田急線と御殿場線を経由し、新宿~沼津間を結ぶ特急あさぎりは現在、JR東海の371系と小田急20000形(RSE)を使用している。今年3月のダイヤ改正後は全列車が小田急60000形(MSE)に置き換えられ、新宿~御殿場間の運転に。現行4往復のうち1往復が土休日のみの運転となる。特別準急「銀嶺」「芙蓉」(小田急線内ノンストップ運行のため特別準急と呼ばれた昭和30年代の小田急ディーゼルカー)から伝統ある特急あさぎり号がまた再びJR御殿場線御殿場駅どまりになってしまうのがさみしい。



2012.01.29 19:15|未分類
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今日は、JR東海御殿場線(ごてんばせん:国府津-御殿場-沼津間)を紹介する。御殿場線は明治22年(1889年)2月1日に開通以来、昭和9年(1934年)11月30日24時までは東海道本線を形成する路線であった。

明治新政府は明治2年(1869)11月10日、東京-神戸間を結ぶ幹線鉄道を建設することを正式に決定した。しかしこの時点では路線を中山道とするか東海道とするかは未定であった。なぜなら「海岸沿いの路線は防衛上の弱点が多い」という意見が軍部において多数をしめており、山岳地帯の中山道幹線建設を当初は計画していた。しかし実際に工事が開始されると碓氷峠をはじめとする中部山岳地帯の地形上の悪条件のため、予想以上に難工事であることかわり、このため当時の井上勝鉄道局長官は密かに東海道線を調査させ、営業上においても東海道線がはるかに有利であると結論を下した。そこで明冶19年(1886)7月19日幹線鉄道の経由を中山道から東海道に変更する通達が出された。 

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(現在の御殿場線の車内、2両編成ワンマンカーの車両は4人掛けボックスシートで景色が良く見える。)

しかし、この幹線鉄道の工事も難工事であった。船で横浜港から資材を運び入れるため最初の工事は沼津側から着工し始めたが困難の末に明治22年(1889)2月1日に国府津-沼津間が開通した。同年7月1日には東海道線新橋-神戸間が全開通した。当初は旅客列車が1日4往復、所要時間は下り16時間50分、上り18時間15分で運行され、国府津-沼津間の所要時間は 2時間35分であった。この国府津-沼津間の路線が現在の御殿場線となっている路線である。なお、全通当時の国府津-沼津間の停車場は、国府津・山北・小山(→六合→駿河→現:駿河小山)・御殿場・佐野(現:裾野)・沼津の6駅であった。

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(現在の山北駅、当初は複線であったため比較的昔からある駅は広い、プラットホームも現在の東海道本線なみ)

しかし、件の路線は、国府津-御殿場駅間は酒匂川流域、御殿場-沼津駅間は黄瀬川流域に沿いに建設され、山北-御殿場-裾野駅間は25‰の急勾配と300m以下の急曲線とが混在する山岳地を形成する路線であり、更に、路盤工事中より度々自然災害の発生、またブレーキ制動不良による暴走事故の多発等の為に、やがて此の区間は東海道本線に於ける輸送上の最大の隘路と化し抜本的改良を講ずる必要に迫られるようになった。

そのため、熱海-三島間の丹那盆地下に隧道(トンネル)の建設が必要とされ、トンネル隧道建設工事が計画された。当初5年と計画し工事に着工したが、実際には想像を絶する難工事の連続に拠り、予定を大幅に超過の16年もの歳月を要したが難工事の末に丹那隧道が貫通し、熱海-沼津駅間が開通した。昭和9年(1934年)12月1日0時を期し熱海線全線開通と共に東海道本線に編入された。その瞬間に国府津-沼津駅間の東海道本線としての役目が終わり御殿場線が生まれたのである。

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(ワンマンなので車掌はいない。こっちを向いているが運転手である。小さな駅に停車するときは切符を運転手さんに渡して下車する。)

丹那トンネル開通当日は、(以下資料)『名士列車』と称する特権上流階級専用とされた東京発神戸行1、2等普通急行第17列車を以ってトリを飾るが如く最後の御殿場経由の優等列車が運転され、次いで、東京駅を出発する神戸行2、3等普通急行第19列車が熱海経由が一番列車となり、大船駅出発後、次の停車駅たる沼津駅まで途中無停車ながら熱海駅通過時には熱海湾に盛大に花火が打ち上げられホームや駅構内に、はち切れんばかりの人々が集まり歓呼の声と万歳三唱が響く内、列車は丹那隧道熱海口坑門に突入して行ったと当時の記録に残されている。

丹那トンネルの開通により、東海道本線は熱海経由となり飛躍的に改善。同時に電化も行なわれ、走行時間も40〜50分短縮さた。坑門は切り石積みの優雅なもので、飾られる「2578」「2594」の数字は着工年と開通年を「皇紀」(神武天皇即位の紀元前660年を元年とする起源)で表したものだ。

次回は街道沿いを紹介する。
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プロフィール

Author:柳原謙一
柳原社会保険労務士事務所 代表
賃金・人事コンサルタンツ 
所在地 横浜市西区中央1-37-17

趣味 旅行 写真 音楽..

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