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2012. 02. 25
続・御殿場線

前回は、御殿場線の歴史を振り返ってみたが今回はその街道筋を紹介する。このスナップは裾野市あたりでの車窓からの写真で、あいにく天候が悪く美しい富士山を撮影することが出来ず残念だが、(雪景色のこの路線を撮りたかったが)これは典型的な御殿場線沿線の風景である。富士の裾野に開通をまじかに控えた第2東名を見ることができる。

この駅は、小田急線と十字に交差しているJR東海松田駅だ。現在(平成24年2月25日現在)後述するが小田急線とは特急ロマンスカーあさぎり号のみ(JR車両と小田急車両がある)が沼津駅まで相互乗り入れしている。いったいどうやって十字交差の鉄道どうしが乗り入れるか不思議に思うが、小田急線に乗り注意深く眺めていると数百メートル手前からバイパス線の上を緩やかに本線から分離していき徐々にJR線に合流していくのがわかる。これは特急ロマンスカーあさぎり号に乗らないと体験できない。
デイパックを背負った旅人、記念撮影をする人達で賑わいがある駅だ

御殿場線は、神奈川県の西部と静岡県の東部を跨いで走る路線だがJR東海管轄になるためJR東日本の「Suica」パスモ等のICカードは使用できない。JR東海「ICOCA」なら使用できるはずだが、混乱を避けるためかほとんどの駅は読み取り機がついていないため切符を購入しなければならない。また車両や駅名表示版はJR東海カラーのオレンジ(前回の写真参照)でJR東日本のグリーンではないためなぜか県内にあって遠くに旅行している気分になる。

さてここは、山岳地帯に入るふもとの山北町やまきた駅だ。駅員1名駐在していて沿線では大きな駅の部類に入るが(前回の写真参照:ホームも広い)実は3月のダイヤ改正で無人駅化が決定されている。

駅前大通りとアーチ看板が掲げられているがタクシーの運転手さん以外誰一人歩いている人はいない。
御殿場線は昭和9年に前述した東海道本線の幹線としての役目を終えて以来首都圏への通勤も遠く、さらに観光地としても恵まれず(もちろん車での観光ポイントはあるが)、この路線の利用客は少ない。金太郎の生誕地と言われてもインパクトは小さい。それゆえに緩やかに時間が流れており昭和が色濃く残されている。ゆえに自分はこの地域がとても魅力的に感じる。箱根観光地域の雑踏を少し離れてしっとりとしたこの沿線の歴史散策をすると面白い。

角の建物が、美容院、となりの赤い建物が酒屋さんだ。レトロだ。

街道筋の床屋さん、バーバーと書いてあった。もちろん営業している。まるで昭和にタイムスリップしたようだ。まだ汽車が住民に毛嫌い(うるさい、煙い、危ない)されていた時代に鉄道を敷かれ、いざ本格的な輸送機関としての電車鉄道時代を迎える矢先に主役を外された(丹那隧道の完成)この地域には感慨深い。

山岳地帯に登る街道沿いにある馬場で馬をつないでおくところだ。この道は関東に入るためのルートとして箱根越えとならび重要な道筋だが、平安時代に京の役人(国守=貴人)が相模の国に入るときにはこのルートを利用したとされている。

山岳地域に入ると「洒水の滝」がある。酒匂川の支流、滝沢川から流れ落ちる洒水の滝は、「日本の滝百選」、またその水は「全国名水百選」に選ばれている。「洒水」=「しゃすい」の名は、密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指すという。雄大なその姿は三段からなり、落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされている。
小田急線と御殿場線を経由し、新宿~沼津間を結ぶ特急あさぎりは現在、JR東海の371系と小田急20000形(RSE)を使用している。今年3月のダイヤ改正後は全列車が小田急60000形(MSE)に置き換えられ、新宿~御殿場間の運転に。現行4往復のうち1往復が土休日のみの運転となる。特別準急「銀嶺」「芙蓉」(小田急線内ノンストップ運行のため特別準急と呼ばれた昭和30年代の小田急ディーゼルカー)から伝統ある特急あさぎり号がまた再びJR御殿場線御殿場駅どまりになってしまうのがさみしい。
2012. 01. 29
御殿場線

今日は、JR東海御殿場線(ごてんばせん:国府津-御殿場-沼津間)を紹介する。御殿場線は明治22年(1889年)2月1日に開通以来、昭和9年(1934年)11月30日24時までは東海道本線を形成する路線であった。
明治新政府は明治2年(1869)11月10日、東京-神戸間を結ぶ幹線鉄道を建設することを正式に決定した。しかしこの時点では路線を中山道とするか東海道とするかは未定であった。なぜなら「海岸沿いの路線は防衛上の弱点が多い」という意見が軍部において多数をしめており、山岳地帯の中山道幹線建設を当初は計画していた。しかし実際に工事が開始されると碓氷峠をはじめとする中部山岳地帯の地形上の悪条件のため、予想以上に難工事であることかわり、このため当時の井上勝鉄道局長官は密かに東海道線を調査させ、営業上においても東海道線がはるかに有利であると結論を下した。そこで明冶19年(1886)7月19日幹線鉄道の経由を中山道から東海道に変更する通達が出された。

(現在の御殿場線の車内、2両編成ワンマンカーの車両は4人掛けボックスシートで景色が良く見える。)
しかし、この幹線鉄道の工事も難工事であった。船で横浜港から資材を運び入れるため最初の工事は沼津側から着工し始めたが困難の末に明治22年(1889)2月1日に国府津-沼津間が開通した。同年7月1日には東海道線新橋-神戸間が全開通した。当初は旅客列車が1日4往復、所要時間は下り16時間50分、上り18時間15分で運行され、国府津-沼津間の所要時間は 2時間35分であった。この国府津-沼津間の路線が現在の御殿場線となっている路線である。なお、全通当時の国府津-沼津間の停車場は、国府津・山北・小山(→六合→駿河→現:駿河小山)・御殿場・佐野(現:裾野)・沼津の6駅であった。

(現在の山北駅、当初は複線であったため比較的昔からある駅は広い、プラットホームも現在の東海道本線なみ)
しかし、件の路線は、国府津-御殿場駅間は酒匂川流域、御殿場-沼津駅間は黄瀬川流域に沿いに建設され、山北-御殿場-裾野駅間は25‰の急勾配と300m以下の急曲線とが混在する山岳地を形成する路線であり、更に、路盤工事中より度々自然災害の発生、またブレーキ制動不良による暴走事故の多発等の為に、やがて此の区間は東海道本線に於ける輸送上の最大の隘路と化し抜本的改良を講ずる必要に迫られるようになった。
そのため、熱海-三島間の丹那盆地下に隧道(トンネル)の建設が必要とされ、トンネル隧道建設工事が計画された。当初5年と計画し工事に着工したが、実際には想像を絶する難工事の連続に拠り、予定を大幅に超過の16年もの歳月を要したが難工事の末に丹那隧道が貫通し、熱海-沼津駅間が開通した。昭和9年(1934年)12月1日0時を期し熱海線全線開通と共に東海道本線に編入された。その瞬間に国府津-沼津駅間の東海道本線としての役目が終わり御殿場線が生まれたのである。

(ワンマンなので車掌はいない。こっちを向いているが運転手である。小さな駅に停車するときは切符を運転手さんに渡して下車する。)
丹那トンネル開通当日は、(以下資料)『名士列車』と称する特権上流階級専用とされた東京発神戸行1、2等普通急行第17列車を以ってトリを飾るが如く最後の御殿場経由の優等列車が運転され、次いで、東京駅を出発する神戸行2、3等普通急行第19列車が熱海経由が一番列車となり、大船駅出発後、次の停車駅たる沼津駅まで途中無停車ながら熱海駅通過時には熱海湾に盛大に花火が打ち上げられホームや駅構内に、はち切れんばかりの人々が集まり歓呼の声と万歳三唱が響く内、列車は丹那隧道熱海口坑門に突入して行ったと当時の記録に残されている。
丹那トンネルの開通により、東海道本線は熱海経由となり飛躍的に改善。同時に電化も行なわれ、走行時間も40〜50分短縮さた。坑門は切り石積みの優雅なもので、飾られる「2578」「2594」の数字は着工年と開通年を「皇紀」(神武天皇即位の紀元前660年を元年とする起源)で表したものだ。
次回は街道沿いを紹介する。
2011. 12. 29
夜景

今回は、最近撮影した夜景のショットを紹介する。最近のデジタルカメラは大変進歩しているものだ。銀塩の頃は夜景といえば三脚は必需品であり、それもシャッタースピードはB(バルブ)モードにしてシャッターボタンを押し続けなければならなかった。それが現在では普通に撮れてしまう。ちなみに、江戸末期~明治初期の頃は昼間でも数十秒の露出時間を必要とするので、当時の人物スナップを見るとほとんどが静止しているポーズだ。
現在お気に入りのリコーCX4の夜景撮影はどんなものかいろいろ試してみた。あくまでコンデジなので一眼との比較はできないが、イルミネーション撮影はクリアーが良いとは限らない、微妙なボケ味もいい雰囲気を出す場合もあるので面白い。

これは、夜景マルチショット(リコーの案内では、高感度で撮影した複数の画像を自動で高精度合成して記録することで、夜景撮影時に発生しがちな手ブレやノイズを低減しますとなっている)で撮影したものだが、ちょっと観覧車が暗いがなにもデジタル処理をしない絵と比べて味がある?

海上からのスナップだが、今年はクリスマス寒波とあって大変寒かった。だが、この季節は空気が非常に澄みきっておりこの幻想的なイルミネーションはとても見応えがあった。しかし大変の人出は覚悟しなくてはいけない。
赤レンガ倉庫前のツリーも恐ろしいほどの人出で全く寒さを感じないほであった。

ここでは紹介できないが、新しくなったマリンタワーのライトアップも綺麗だった。今回は山下公園からシーバスに乗ってイルミネーション夜景を楽しんだ。

この初冬に関東総鎮護大山阿夫利神社に紅葉のライトアップを見学にいった。大山阿夫利神社は第10代崇神天皇の頃(紀元前97年頃)の創建と伝えられ、山頂に本社、標高700メートルの中腹に下社がある。「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」「大雷神(おおいかずちのかみ)」「高おかみ神(たかおかみのかみ)」を主祭神とし、大山山頂に立つ本社に祀られている。
源頼朝をはじめ、多くの武将に厚い崇敬を受け、江戸時代には庶民の信仰を集め大山詣でが盛んになった。特に江戸時代に入ってからは庶民のリゾート地として大変な賑わいぶりであった。それというのも簡単には江戸を出ることも出来なかったその時代、大山詣でと言えば江戸を離れることが出来たのである。現在の国道246、県道戸塚~伊勢原線、県道藤沢~伊勢原線が大山詣での路である。
下の絵は、山頂の本社ではなく途中にある下社である。昼間訪れたことは幾度かあるが夜訪れたのは初めてである、麓の相模平野の夜景が目の前に広がりなかなか見応えがあった。

下社にはケーブルカーで行くことができるが、途中の大山寺で途中下車をすることも出来る。(オート撮影モード)

ライトアップされた紅葉

今回は夜景のスナップをアップロードした。CX4では三脚を使用しない場合でもオート撮影モードで失敗のない夜景がとれることが分かった。夜景マルチショット、夜景ポートレートなど特殊なデジタル処理を施すモードもあるが、やはりそれらは三脚を使用しないとシャッター速度が遅いのでどうしてもぼけてしまう(逆にいい味を出す場合もある)しかし通常のオート撮影モードの精度が高いことも分かった。こうしたいろいろなモードを楽しむのもコンデジならではの楽しみなので今度は是非三脚を使用してみたい。CXユーザーの参考にしてほしい。
2011. 09. 16
パソコンのメンテナンス

これは、パソコンの心臓部CPUプロセッサーだ、CPUクーラー(ヒートシンク+ファン)を取り外した状態。パソコンのトラブルで一番多いのはドライヴ系の不良だ、しかし故障ではないが長年使用していると必ずファンの音は大きくなってくる。これはCPU熱を放熱させるヒートシンクに埃がたまり、放熱効率下がるためファンが頑張って異常回転してしまうからだ。
自分は決してマニアではないが自分で修理できるものは自分で修理をした方が良い。今回はCPUの取り外し方と交換の仕方を説明する。

まず、取り外すのが問題だ、CPUクーラーはCPUに接触していなければならないのでかなりの圧力でCPUに被いカブさっている。このレバーにより跳ね上がるのを防いでいるのだ(後でわかった)
このレバーは押していいのかそれとも引くのか、初心者には全く分からない。結論から言うとCPUクーラーを押しつけながら上にレバーを引くのだ。初めて取り外したとき、壊れるのを覚悟して力づくで引いてみたがその時はバキーと音がしてソケットが壊れ、そのパソコンは使用不能になってしまった。

しかし、心配は無用だ。CPUクーラーを支えるソケットが売っているのだ。純正品を壊してしまった方へと書いてあった。つまり壊す人が非常に多いのだ。(価格540円)
このソケット(リテンション)の形状はCPUにより企画統一されており、例えばペンティアム4ならば478という企画品になる。後で説明するがCPUクーラー本体を交換するときは478ソケット(リテンション)対応品を選べばよい。

配線は3本線をはずすだけだ、簡単だ。

取り外したCPUクラー。これは約半年前に綺麗に掃除をして取り付けておいたものだが、かなり汚れているのがわかる。しかし5年間掃除なしで使用していた時はヒートシンクが全く見えないし、外から見ても埃が壁のように張り付いていた。

ヒートシンクとCPUの間にグリスを塗る、より冷却効率を高めるためで必ず塗らなければならない。1年もすれば乾いてしまうのでできれば定期的に塗りなおしたい。押さえつけるときに広がるので、米粒大垂らしておけばよい。

グリスの価格は300円から800円くらいだ。安いもんだ。

この機種は、埃の掃除をしても改善が見られなかったのでクーラー本体をファンごと交換することにした。CPUはペンティアム4HTなので478ソケット対応品を店頭で探していたところほぼ同型(ヒートシンクの上にファンがむき出しでついている、ファンの幅、全体の高さが同じ)のものが見つかった。(写真はすでに交換後 左下 1980円)
パソコン修理の相場は、CPUクラー、ファンの修理が15,000円~となっているが、今回3台メンテナンスしたがそれほど費用は掛からなかった。HD、ドライブ交換、クーラー交換ができるようになればかなり楽だ。
経年劣化とともに、パソコンボディが熱を帯びてくることもあるが、これはCPU冷却不足もあるが、電源トランスの問題もある。ちなみに電源トランスの放熱とCPUクーラーファンの回転はほぼ関係ない。電源トランスは一番下にあるので(電源ジャックに近い)手で触ってみてヒートシンクが熱くなるようだったら、これもまず埃に注意して定期的に掃除してみるべきだ。
2011. 08. 27
ひまわり祭り

お盆休暇の真っ最中8月中旬に神奈川県の中部にある座間市ひまわり祭りを訪れた。会場はJR相模線相武台下駅から徒歩25分くらいの相模川沿いの田園地帯で行われている。当日は熱中症警報が発令されており相武台下駅を下車してから会場までの間には日影が全く無くかなり辛かった。こうしたイベントをこの季節に行うのであれば臨時バス等運行して欲しかった。

ひまわり畑に入ってしまうと迷路になっているが、こうして上から眺める櫓もある。とにかく暑い!

会場には、休憩所もあるが小さすぎて多くの人は入れない、この時季は日影がないとちょっと耐えられないので来年は改善してもらいたい。

今回この会場に来るにあたって相模線を利用した。相模線は、神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅と相模原市緑区の橋本駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線である。神奈川県を縦断する路線で、相模原市、海老名市など地元沿線地域では「ガミ線」と呼ばれて親しまれている。
もともと、相模川の砂利輸送を目的として建設された路線である。1921年(大正10年)に相模鉄道による私鉄線として開業後、太平洋戦争を経て国有鉄道化された。相模線を国有化した理由は、戦時体制のもと、都心が攻撃された場合にそなえ八高・横浜・相模線の迂回ルートを確保するためであったとされる。、ちなみに八高線とは、東京都八王子市の八王子駅から群馬県高崎市の倉賀野駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
上の相武台下駅は相模線の駅の中では駅員もおりトイレも完備されている。みょうに周りの風景とこの駅舎がマッチしていた。

帰りに乗車した入谷駅は完全無人駅で緊急の際には駅員が隣の海老名駅から駆けつけるそうだ。
相模線は1988年に完全電化された。それ以前はツートンカラーのディーゼル車両でたしか入り口付近のど真ん中につかまるパイプがあった。エンジン音と警笛を鳴らして走る姿が懐かしい。八高線が電化されたのは専門的にはよくわからないが1990年代(現在でも高麗川駅 - 高崎駅間に非電化区間一部あり)に入ってからだから神奈川県の方が東京都よりオール電化は早かったわけだ。
相模線といえば、手動式ドアで有名だ。電車がホームに入ってきても勝手にドアーは開かない。もちろん降りるときも一緒だ自分でボタンを押して開けない限りドアーは閉まったままである。たまにそうとは知らないでボーとドアが開くのを待っている人を見かけるが、周りの人(地元の人)はこの田舎者めが!という視線で見ているらしい、いったいどっちが田舎者かわからない。また、外で開ボタンを押している人に対して、内側で閉ボタンをおして開かなくする意地悪遊びもあるようだ。また、降りて行った後、ドアーが開いたままになっている場合ドア付近の人が閉めるのが礼儀となっている。
2両編成で行き違い無しの単線路線を一日延々と往復するこどもの国線または、小田原~大雄山駅の大雄山線という私鉄線も手ごわいが、手動式ドアーがゆえに相模線は県下では最強ローカル線だ。手動式の理由は、単線のために停車待ち時間が長くなるため、冬季は寒くてしょうがないからである。首都圏にあっては八高線と肩を並べる真のローカル線であると思う。是非この手動式ドアを残してほしい。




