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2010.12.11 14:33|未分類
11月中旬から12月初旬にかけて首都圏では紅葉のピークを迎えました。横浜関内の県庁前日本大通りのイチョウの木の紅葉です。(11月27日撮影)おそらく今年のピークは今日が最後だと思います。

DSC00231_convert_20101211142756.jpg

真黄色です!いちょうの紅葉は他の樹木に比べ紅葉の時期が早いのが特徴です。この後大量の落ち葉と銀杏の実でまた楽しませてくれることになります。

いちょう

横浜公園から海岸方向を望む

toori



こちらは、新宿御苑です。撮影は11月28日となりますが、黄色のいちょうの葉と赤いもみじの葉のコントラストが特徴です。

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園内には、たくさんの池や沼もありたくさんの人出で賑わっていました。

ももじ

もみじの葉は、日を浴びた葉の裏側から撮影するととても綺麗ですね。

もみじ2

落ち葉となって散っていく最後を綺麗に飾ろうとしています。

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江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったこの地に、新宿御苑が誕生したのは明治39年のことです。皇室の庭園として造られましたが、戦後、国民公園となり、多くの方に親しまれてきました。
広さ58.3ha、周囲3.5kmの庭園には、プラタナス並木が美しいフランス式整形庭園などがあります。また、数少ないわが国の風景式庭園の名作とされています。

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自然のままの景色も良いですが、このように人の手で整備された自然も格別です。

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(新宿御苑の歴史)

新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。

東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。

内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。  新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することとなりました。

















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柳原謙一

Author:柳原謙一
柳原社会保険労務士事務所 代表
賃金・人事コンサルタンツ 
所在地 横浜市西区中央1-37-17

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